Home > 教育 > 国際交流 > フィリピン訪問プログラム > チャイルドたちの笑顔

教育/国際交流/フィリピン訪問プログラム

チャイルドたちの笑顔

チャイルドたちの笑顔

3年女子

フィリピン訪問プログラム

「フィリピン」と聞いてイメージすることはなんだろうか。貧しい、ストリート・チルドレン、あるいはバナナやマンゴーなどのフルーツを思い浮かべると思う。しかしそれは、表面しか見ていなくて、このプログラムに参加して、フィリピンのあらゆる面を見ることができた。
私が一番イメージと違っていたところは、観光地として知られるセブ島である。セブに着くまでいたマニラは、聞いていたよりも栄えていたので、観光客の多いセブはもっと都会だと思ったのだ。確かにお土産屋が多く、日本語を知っている方がたくさんいた。しかし、マニラ以上にストリート・チルドレンや押し売りが多く、建物も古そうな、あまり綺麗とは言えないものだった。マゼラン・クロスに行ったとき、入り口のすぐそばまで観光客目当ての土産屋が迫ってきて、中に入りにくかった。私は何もなかったように無視して入ったが、後でミーティングしたとき、果たしてそれでよかったのだろうか、と後悔した。こんなことを例に挙げるのはおかしいかもしれないが、私は初めて東京に来たとき、チラシやティッシュ配りの人に驚かされた。仕方なくもらっていたが、この状況に慣れてしまった今は、ほとんど抵抗なく無視してしまうようになった。それと同じような気持ちで通ってしまっていたのである。きっと、フィリピン政府にとってもこうした人々は目障りだと思う。だが、彼らにとってそれは生活がかかっているのである。だからといって、お金を出して買うとなると、それはお金を持っている者のおごりでしかない気がする。必要なものであったらいいが、「かわいそうだから・・・」という気持ちで買っても、その人の生活が改善されるわけではない。結局何ができるのか、ということになるが、申し訳ない気持ちを持つくらいしかないのかもしれない。まだ答えは見つからないが、いつもの癖でチラシ配りの人を無視してしまうと胸が痛む。
バリリのセンターに着いた頃には辺りは真っ暗だった。センターの建物は2階建てで、水回りだけ半地下になった別の部屋にあった。2階といっても床は本当に薄く、支えもきちんとしているわけではないので、床がへこんでいて、何かの衝撃で穴が空いてしまいそうなものだった。電気は通っているが、シャワーはなく、水道もあまり勢いがよくない。そんな市内から離れた感じはしなかったが、ずいぶん田舎にきた気分になった。
ここのセンターでの交流会は到着した次の日の午前中から、主に午後行われた。まだ学校があるということで制服を着ていて、最初は6人ほどしかいなかったが、午後にはたくさんの子と交流することができた。
午前中はマンタロンゴン・マーケットへ行き、私は大学生の方と回ることになった。年が上だからか、たくさん話しかけてくださった。簡単な返事しかできなかったが、なんとなく通じていたみたいで、多少英語ができなくても何とかなることもあるな、とホッとした。ずっと笑顔で話してくださって、こちらも自然とニコニコ笑顔になったが、あまりの暑さに少しボーっとしているとすぐに「疲れている?」と聞いてきて、笑顔でいなくては、と表情に気を使うようになった。
互いに「これは何?」「日本にある?」と質問しあい私としてはフィリピンと日本の食材の違いを一度に知ることができた。日本と同じように干物やニンジン・たまねぎなどの野菜があったことは、安心したことと共にサイズが小さいことに驚いたが、なんといっても牛や豚などの家畜の数には驚いた。それらが日本に比べると安く、ニワトリでは400円もせずに買えることも驚いたが、大きな豚を間近で見たときは、正直怖かった。家畜をトラックに乗せるときはとても大変そうで、人に噛み付くのではないか?と心配するほどだった。私の方にも豚が迫ってきたことがあり、その時は豚の顔の迫力に押されて動くことができなかった。市場で生きた家畜を見ることは日本ではないことなので、珍しい経験をしたと思うが、それらを食べていると考えると、食べることに少し抵抗も感じた。
学校では4年生の女の子に出会った。今まで会ったどの子よりも人見知りが激しくて、なかなか話が続かなかった。しかし、目が合うたびに笑っていたら、一緒に歩いてくれるようになって、手もつないでくれた。タガログ語ではなく英語に苦労していた私だったが、このときは、“言葉は通じなくてもコミュニケーションできる”と実感した。
その後、初等部のチャイルドの家を訪問し、バリリのセンターに戻ると制服を着た子供たちがたくさん集まっていた。もう昼食を食べてきていた子も多かったので、一緒に食べることはできなかったが、途中マンドリンの演奏を聴いた。チャイルドはみんな弾けるらしいのだが、演奏を披露してくれた子達は教会でも弾いている上手な子達だった。他にもダンスや歌を披露してくれる子もいて、何も用意してこなかったことを後悔した。みんな少し照れながらもすごく上手で、まだ話したことのない私たちに見せてくれたことがとても嬉しかった。
昼食後、持ってきた日本の遊び道具がまだたくさんあったということもあって、外でたくさんの子たちと遊んだ。最初はなんと言って誘えばいいのか戸惑ったが、竹とんぼを組み立てて渡していくと、質問してきてくれたので、思ったよりスムーズに浸透した。私自身は竹とんぼで遊ぶのが久しぶりだったので、うまく説明できなかったけれど、思いのほか楽しそうに遊んでくれたのでよかった。
他に人気だったのは、紙風船である。日本のものというよりは、バレーボールのような球技として面白かったのかなぁと思う。とても暑い日だったのにみんなとてもよく動いていて、笑顔から元気をもらった。
外だったが、おはじきもした。すごく単純な遊びだし、うまく説明できなかったので伝わりきらなかったが、何度も楽しそうに遊んでくれた。意味がわからないところも多かったと思うのにそうしてくれたのは、いま振り返ると気を遣ってくれていたな、と思うが、その時は交流することで精一杯だったので、その子の笑顔に対して自然に笑っていた。
さらになわとびもした。なわとびはインファンタでも人気だった遊びで、人数が多くても楽しめた。暑かったので少し跳んだだけで私はばててしまったし、回すのも体力が必要だったが、笑いながら何度もずっと跳んでくれる子もいて楽しかった。日本の遊び道具は少人数で座って遊ぶものが多いが、実際は一緒に体を動かすほうが仲良くなれたかな、と思った。
遊んだ後はお互いの国の、主にお米のおやつを食べた。食べるときは先ほどマンドリンを弾いてくれた子を含んだ3人のグループに混ぜてもらっていたのだが、その一人の子から指輪をいただいた。この交流会の前の日のミーティングで、チャイルドから帽子やブレスレットなどをいただいたという話を聞いて、私だったら何を返すかな・・・と考えたが、本当にその立場になるとは思っていなかった。少し焦りながらも、鞄の中を探し、女の子に使いやすそうな、自分自身も好きな折りたたみ鏡をお返しした。大切な指輪に対して本当に鏡でよかったのかわからないけれど、鏡を渡した記憶と指輪を見れば、その子のこと、そこで過ごした時間は忘れないだろうと思った。
バリリのセンターの子達は最初、人見知りの人が多いかなと思ったけれど、少し時間が経つといろいろ話してくれるようになって、すごく長い時間を一緒に過ごした感じがした。そうした充実した時間を過ごせたのは、多くの笑顔を見ることができたからだと思う。
私はなるべく多くのことを素直に吸収したいと思い、あまり知識やほかの人の考えを聞かずに行った。マニラがすごく都会だったことも驚いたけれど、一番印象に残っていることは多くのチャイルドと交流できたことである。大人にならないうちに、なかなか会えない外国の方と交流できたことは貴重だと思う。「支援している側」「支援されている側」という立場を抜きにして素直に楽しめたことは本当によかったと思う。
しかしそれは子供たちだけの間、もっと言うと私だけが感じたことなのかもしれない。フィリピンの人は人をもてなすことが好き、という国民性があると聞いた。それでも、私は多くの笑顔と共に、チャイルドのお母さんの少し陰があった顔が印象に残っている。支援していることに対してすごく感謝してくれたけれど、家を訪ねられることは嫌だったのでは、と思った。
私はこのプログラムに参加した以上、フィリピンの現状を伝えなければならないが、その言い方自体が支援している側か上から見下した、差別化しているような感じがする。確かに整っていない学校の環境、窓拭きや果物を売り歩くストリート・チルドレン、狭くて電気が暗い家を見てきた。それらを伝えて、すぐ近くにも貧しい国がある、と感じてもらうこともいいかもしれない。しかし私としては、交流して楽しかった、そのことをできれば多くの人に実際に感じてもらって、コミュニケーションの大切さに気づいてもらいたいと思う。
私自身は支援している立場とあまり感じていないが、支援されている側はそのことを常に感じているのではないかと思う。支援する側とされる側の壁は厚く、上下関係になってしまっているのは悲しいことだが、それを変えることは難しい。どうしたら貧しさを解決すると共に対等な立場になれるか、答えはまだまだでそうにないが、お金出すばかりの日本では駄目だと思う。今は楽しかった時間を心に留めて、献金を通して支援を続けていくことを大切にしていきたいと思う。